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ある男の話

おはようございます。

今日は2人の男の話から始めましょう。
ある小さな村からお話は始まります。

この村に2人の男の子がいました。
いつも一緒に遊んでいました。
近所だったこともあるのでしょうが、
妙にウマが合うと言えばよいのでしょうか。

川で真っ裸で泳いでいて流れに呑み込まれそうになったこともありました。
山に入り探検隊と称して何日間も野宿をして
ムラオサにこっぴどく叱られたこともありました。

この2人は成人するにつれて家の違いがあったからでしょう。
一人はその国の中心の大学に行き、もう一人はその村で

年老いたお父さんとお母さんと一緒に小さな畑を耕していました。

 

それから60年が過ぎます。
都会に出た男は大きな会社を作り上げ、経営の神様と言われます。
彼の周りにはいつも、彼の話を聞きたいと人が集まってきました。

そんな忙しい生活に疲れた彼は、ある日、生まれ故郷に帰ってみました。

大学に行くために上京して以来、60年間。
ゆっくりと故郷を訪ねた記憶もありませんでした。

彼は記憶を辿りながら、友だちの家を訪ねます。
山郷の急な小道を登り、杉木立で薄暗いトンネルのようなところを
抜けると、山々の狭間にぽつんと小さな小屋が見えます。

60年ぶりに逢うあいつはどうしてるかな? 元気でいるかナ?
そんなことを考えながら、小屋に近づいていきます。

 

サクッ、サクッと軽やかなリズムが耳に入ってきました。
その音はリズミカルで一定のテンポで聴こえてきます。

「なんて軽やかで楽しそうな音なんだろう」
音の方に近づいていくと、老人がひとり、鍬で畑をおこしています。

サクッ、サクッ、サクッ

固く締まった大地に何の抵抗もなさげにスッと鍬が入っていきます。
サクッ、サクッ、サクッ。

音が不意に止み、老人がゆっくり振り向きます。
赤銅色になったその男の顔には深い幾筋もの皺が刻まれていました。
口元がゆるみ、満面の笑みを湛えたその顔がゆっくりと近づいてきます。
60年ぶりです。

お互いに老人となったふたりに小さかった頃の
少年の影が嬉しそうに駆け寄ってきました。

ふたりの頭の中で、小さい頃の思い出が走馬灯のように駆け巡ります。
「元気だったんだな」
どちらからともなく声を掛け合い畑のそばに腰かけました。

大会社の会長になった男は、
この60年間の出来事を堰を切ったように話しました。

初めて入った会社で寝る間も惜しんで仕事に没頭したときの話。
30になるかならないのときに起業のチャンスがあったときの話。
立ち上げたばかりの会社が倒産しそうになったときの話。
外国の大きな企業と競争をして勝ったときの話。
だんだん会社が大きくなるにつれて思い通りにならなくなった組織の話。
家庭を顧みず子供たちと疎遠になりかけた話。
今、立志伝の人物として周りにいつも人々が集まってくる話。

 

ずっと畑を耕していた男は、それらの話を
にこにこと頷き、いつまでも聴いています。

彼は話を続けながら不思議な感覚に捉われます。
(この男に話し掛けていると、なぜだろう、こころが休まる気がする。)
(昔から一緒に野山や川で遊んだこの男の名前は何て言ったっけ?)

ふっと彼は男に尋ねます。
「わたしは自分の人生を生き切ったのだろうか?」

男は黙って腰を上げ、畑に行きます。
サクッ、サクッ、サクッ

軽いリズミカルな音が聴こえてきます。

彼は男の口元が動いたように見えました。

(わたしはずっと土を耕してきた。ただそれだけ・・・。)
こんな風に彼の耳には聴こえてきます。

 

鍬が何の抵抗もなく、スッと土を耕しています。
(最初は自分のために畑を耕してきた。)
(だんだんに周りの人たちのために畑を耕すことが楽しくなってきた。)
(大地は固いところもあり、鍬を力いっぱい振り下ろしても跳ね返されることを学んだ。)
(人も同じ。)
(人生の中で自然と共に活きることを学んだ。)

 

心地よく響く声が彼の頭の中に浮かんでは消えていきます。
太陽が山の端にかかり、柔らかく大きく膨らんで、
赤い光が彼の顔を照らします。

赤銅色になった彼の顔には深い幾筋もの皺が刻まれています。
口元がゆるみ、満面の笑みを湛えた彼の目から暖かな泪が湧いています。

皆さんにはどのように聞こえてきたでしょうか?
どのように読まれたでしょうか?
どのように感じられたでしょうか?
どのようなイメージを持たれたでしょうか? 

この雑文は、これから旅立つあなた方に、キャリアについてお話しようとしたものですが、皆さんはキャリアと聞いてどんなことを頭に浮かべられるでしょうか?

わたしはキャリアを仕事での役職の高さ、職歴とは考えていません。
キャリアとは物語の展開でも
お解りになると思いますが、
あなたの生き方そのものを差しているのです。

もちろん、多くの人に影響を与えることは
その人の人生にとって大きな意味を持ちます。
しかし、会社での出世そのものがその人の
人生最後に持ってゆけるキャリアではないのです。

われわれはこの世から卒業するときに持ってゆけるのは、
あなた自身の経験値しかないのではないでしょうか?

経験値とは、自分が経験したことを次の行動への指針、
思考として活かしていける能力と考えますが、
あなたはどう思われますか?

さて、ここからはわたしのブログでキャリアについて、
以前お話した内容を抜粋したものです。

まず、キャリアの捉え方として次の2点をクマはよくお話します。

① carrie : 物や情報や人を運ぶ、、あるいは伝達する道具、手段。
いわゆる、キャリーバックと考えていいと思います。

② carrer : 職歴、経歴。国家公務員上級試験合格者のようなもの。

さて、あなたはキャリアという言葉を会社での職歴とか、
会社の仕事を通してのスキルアップと捉えているのではないでしょうか?
もちろん、その捉え方は間違いではないと思います。

だけど、「キャリア」を①の考え方でお話しますと、

○ あなたがご自分の人生を歩んで行かれるとき、

ご自分の「キャリーバッグ」を曳いていると
想像してみてください。

お母さんに抱かれて常に優しさに守られていた赤ちゃんの時代、
幼稚園、小学校と友達と一緒に遊んだころ、また取っ組み合いの喧嘩もあったかも。
大学生になり、朝まで友人と生きることについて議論したこともあったでしょ。
そして、社会にでて数十年。

がむしゃらに会社、奥さん、お子さんのために働いたのでは。

定年・・。
孫に囲まれ、心穏やかな日々。

そのような年代になって、キャリアを振り返ってみたときに、

あなたのキャリーバッグには何が入っているでしょう?

会社での肩書きはすでに消えています。
しかし、会社で頑張ったあなた自身の行動と経験は立派にキャリーバッグに残っているのではないでしょうか?
人々から、いただいた暖かな気持ちは、あなたのキャリーバッグの中で、光輝いているのではないでしょうか?
あなたが一所懸命、顔晴って(がんばって)、周りの人々のこころを豊かにしてきた行いは、あなたのキャリーバッグの中で、ひときわ、大きく輝いているのではないでしょうか?

 

わたしは、「キャリア」は、決して職業履歴ではないと思います。
あなたのキャリアについての考え方をもう一度、考えていただければ嬉しいです。

そして、今日、クマが書いた雑文では二人の男を対比させていますが、実はただ、一人の男の人生をお話していたのかも知れませんネ。

一人の男が社会の中で成長していく過程に於いて、自己のこころをも耕し、こころの軸を培ってきたとお取りいただければ嬉しく思います。

 

今日は長い文章をここまでお読みいただき、ありがとうございます。
高柳昌人でした。

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