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「石中有火不打不発」

 

 

『碧巌録』にある言葉です。

「石中有火不打不発(せきちゅうに/ひあり/うたずんば/はっせず)」

ここのところ、この言葉がなぜか検索数が多いようなので、

ちょっと復習も兼ねて、ちょいと違う説明を上の動画でしていきます。

面白かったら、拍手してください。

上記の動画は、昨年の4月に収録したものです。(4分弱)

よかったらお聴きください。

 

 

 

目次

火打ち石

火打石をご存知でしょうか?

時代劇で、銭形平次が「行ってくるぜ!」と勢いよく出かけようとすると、妻のお静さんが、「お前さん、ちょいと待って」と言って、おもむろに神棚から白い石を二つ取り出し、平次に向けて石と石を打つんですね。

そうしますと、火花が飛び出て、それを平次が満足げに、「ありがとうよ。行ってくるぜ」と颯爽と事件に向かいます。



火打石は、厄を祓う、魔を祓うという意味で用いるものですが、

この禅語では、「石の中に、火が宿っておるのだぞ」と言います。

しかしながら、「この火は石と石を打たなければけっして出ないのだぞ」と続けます。



さあ、皆さんはこの禅語をどのように捉えるでしょうか?

大相撲が再び人気です。

大阪場所は残念ながら横綱不在で場所が終わりましたが、

複数の大関候補が頑張って面白くなってきました。

次の場所では横綱の土俵入りが見えると思いますが、

横綱の横に太刀持ちが控えます。



この太刀や刀を鍛えることを「鍛錬」と言います。

材料となる鋼を折り返し叩き、また折り返し叩く。

この繰り返しで、鋼の中の不純物が火花となって外に出され、強く靭(しなやか)になるのです。

この工程を端折ってしまいますと、硬いが脆いものになってしまうと聞いたことがあります。

われわれ人間も同じです。

外からの力で、こころに滲み付いた不純物を叩き出してもらうこともあります。

仲間と切磋琢磨して、お互いに強く靭に成長していくこともあります。

意思と意思をぶつけ合う

ここで言う「石の中の火」とは、クマは不純物とは採っていません。

この火は、情熱、希望、emotion なのだと思います。

この自分の中に在る火を取り出すために、様々な人々との

交合、経験を通じて、また、自分自身に対するこころの鍛錬を

通して、更に強靭な美しさを持った火へと成長させていくのです。



そして、いつの日か、こころから信頼できる仲間と出会い、

お互いのこころを交わらすことで、出現する炎が

他の人々に伝搬していく力となります。

「石中有火不打不発(せきちゅうに/ひあり/うたずんば/はっせず)」なのです。



石と石をぶつけることで火が発します。

人も同じではないでしょうか?

アメリカでは、意思と意思をぶつけないで、手を出して問題だそうですが、

手と頬ではなく、お互いの意思と意思をぶつけ合うことで、新しい物事が生まれます。



面白いことに新入社員の多くが「叱らない上司に不満を持ち、自分が能力がないせいで叱ってもくれないんだ」と不安に思う方が多くいるそうです。



怒ると叱るは全く別次元のものです。

相手を自分の顔の正面でしっかりと見て、「叱る」。

このことが大切なのではないでしょうか?



ぶつかり合うことを怖がらないで、

お互いに丁々発止と渡り合うことで初めて生まれるものを大切にしてください。

ぶつけ合うことで、Passion(情熱、モチベーション)が生じます。

クマこと高柳昌人(向龍昇人)

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