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「拈華微笑(ねんげ/みしょう)」

おはようございます。
今日は、「拈華微笑(ねんげ/みしょう)」についてお話します。

お釈迦様のお話です。

あるとき、霊鷲山(りょうじゅせん)で弟子たちを

説法することになっていました。
皆の前に立たれた釈尊は、黙ったまま、

金波羅華(こんぱらげ)と言う花を一輪。
皆に見えるように捻って見せます。

 

素晴らしく為になる説法を聞こうと集まっていた

人々は困惑げな表情に変わりました。

その中で、迦葉尊者(かしょう/そんじゃ)だけが、

にっこりと微笑み(ほほえみ)、釈尊を観ていました。

 

これを観た釈尊は、言葉では伝えられない

教えの真髄を迦葉に確かに伝えたと宣言しました。

 

禅の世界では、「不立文字教外別伝(ふりゅうもんじきょうげべつでん)」

と称し、文字や言葉では伝えられないことを心から心への以心伝心として

伝えることを大きな要素としていますが、この、「拈華微笑」が原点でしょう。

 

利休から数えて3代目の宗旦の言葉にこのような言葉があります。
「茶の湯とは心に伝え、目に伝え、耳に伝えて、一筆もなし。」

 

マニュアルはないのです。
自分が師匠から教わることがすべての原点なのです。
これは大切なことではないでしょうか。

 

ところで、師匠のレベルが低ければ、師匠のレベルまでしか、
自分のレベルをあげることしかできません。
このように考えますと、師を選ぶことは大切なことです。
そして選んだ師が仰っていることを理解することに努め、

師のこころを慮ることが大切だと思います。

 

対して、師は、弟子のこころに常に沿って、

弟子の動きと変化に気をはることが大切だと思います。

また、弟子のレベルを素直に見切り、自分を超えたと

判断したときは、潔くもっと上位の師匠を推薦すべきだと思います。

 

師と弟子のお互いのこころが通っていて初めて、
伝わるものがあるのではないでしょうか?

 

今の風潮で、スキルにのみ焦点をあて、手っ取り早く

その道の達人になることが出来る、

あるいは年商1000万と謳う方をしばしば目にすることがあります。
クマはそのような能力も胆力もありませんので、

「スキルに過ぎるのはよくないなあ。」なんて

思ったりもしています。

 

スキルを順序、方法、手段だけと考えると、

そのスキルを使って本当に変化していくこと、

変化していくもの、その過程の重要な部分が

伝わらないのではないでしょうか?

 

スキルが活きるのは、相手の状況に合わせたそのときに

その人に必要なスキルを、その人のこころの変化を

充分に観察しながら使っていくときです。

だから、誰でもこれさえ真似ればというのは

早計のような気がします。

黙って手を握っていただいた亡き師を思いだします。
「クマさん、しっかり僕のコーチングをあなたに伝えたよ」と
こころで聴いた言葉を思い出します。

こんなことをお伝えしながら、19年が経ちました。

 

今日は、言葉で伝えられないものがあることをお話しました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

 

 

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