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禅語でコーチング、クマさんのワンフレーズ:鏡を見ることで自分の本質を知る

 

「鏡を見ることで、自分の本質を知る」

日常の生活の中に、自分を清らかにする行いを
一つひとつ繰り返すことが大切なのです。
動画:3分23秒

目次

禅語「洗心(せんしん)」

「洗心」と言う言葉は文字通り、
心を洗うと言う意味ですが、
具体的にはどのようなことを
指すと思われますか?

お茶会に行き、露地を入ると蹲踞があります。
ここで客が順番に手を洗い、口を漱ぎ、
躙り口よりお茶室に入ります。

この手を洗い、口を漱ぐ動作を
「洗心」と言います。

神社にも手水があり、この手水鉢の側面に
洗心と書かれていることがあります。
見た方もおいででしょう。
ですから手水も、蹲踞と同じ作用を
するものと考えられます。

「クマさん、手を洗い、口を漱ぐことが、
どうして心を洗うことになるの?」
 とっても深い質問をくれました。
「水は古来、清きものの象徴と考えられてきたんだ」

洗うと言う漢字は水の先と書きます。
つまり水の奥にあるものを観るための
動作が洗うこととも考えられます。

ギリシア神話に出てくるデルフォイの
アポロン神殿での巫女の神託を観ても
解るように、水の奥に観えるものが
神からのお告げなのです。

日本の巫女も身を浄めるために洗う動作をします。
洗うことで見えないものが
観えるようになり、

あるいは神の依り代となると
言うことかも知れません。

手を洗うことで神を観る力を得、
口を漱ぐことで体内を浄化し、
神が宿りやすくする。

そしてその無垢な状態で、
水底を覗き込むことで
何かが観えてくるのでしょう。

さて、神社に行きますと、
ご神体の映し処として
「御神鏡」があります。

鏡とは神を指す言葉そのものです。
カガミとは神(カミ)と我(ガ)が
一体化したものと考えれば、

鏡を観ると言うことは、
神の清浄な心根を人間である
自分に取り込んで、無垢なる目で
真実、本質を観ること
なのかも知れません。

自分のこころに神を養うことが大切なのでしょう。
これが、心を洗うと言う動作の本質なのでしょう。

このことを日常で気づかせてくれるのが、
お茶席に入る前に使う蹲踞、
あるいは神社で何気なく手を清め、
口を漱いでいる手水なのでしょう。

手を綺麗にするのは、黴菌がついた
手が汚いからではないのです。

自分のこころも常に洗い、
清めているのだと思って、
手を洗う習慣をつけてみるのも
良いかも知れません。

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1時間半ほど頂きます。)

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お名前とできれば参加理由をお書き頂き
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yumeoriginatelabo@gmail.com 結芽創造研究所 高柳昌人

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