変化する時代を超えて、変化していく自分に
おはようございます。
今日は、『碧巌録』にある言葉です。
「石中有火不打不発(せきちゅうに/ひあり/うたずんば/はっせず)」
火打石をご存知でしょうか?
時代劇で、銭形平次が「行ってくるぜ!」と勢いよく出かけようとすると、妻のお静さんが、「お前さん、ちょいと待って」と言って、おもむろに神棚から白い石を二つ取り出し、平次に向けて石と石を打つんですね。
そうしますと、火花が飛び出て、それを平次が満足げに、「ありがとうよ。行ってくるぜ」と颯爽と事件に向かいます。
火打石は、厄を祓う、魔を祓うという意味で用いるものですが、
この禅語では、「石の中に、火が宿っておるのだぞ」と言います。
しかしながら、「この火は石と石を打たなければけっして出ないのだぞ」と続けます。
さあ、皆さんはこの禅語をどのように捉えるでしょうか?
現在の大相撲は横綱が休場中のため土俵入りはないのですが、。
太刀持ちは太刀を鍛えたものを掲げていますよね。。
太刀や刀を鍛えることを「鍛錬」と言います。
材料となる鋼を折り返し叩き、また折り返し叩く。
この繰り返しで、鋼の中の不純物が火花となって外に出され、強く靭(しなやか)になるのです。
この工程を端折ってしまいますと、硬いが脆いものになってしまうと聞いたことがあります。
われわれ人間も同じです。
外からの力で、こころに滲み付いた不純物を叩き出してもらうこともあります。
仲間と切磋琢磨して、お互いに強く靭に成長していくこともあります。
ここで言う「石の中の火」とは、クマは不純物とは採っていません。
この火は、情熱、希望、emotion なのだと思います。
この自分の中に在る火を取り出すために、様々な人々との交合、経験を通じて、また、自分自身に対するこころの鍛錬を通して、更に強靭な美しさを持った火へと成長させていくのです。
そして、いつの日か、こころから信頼できる仲間と出会い、お互いのこころを交わらすことで、出現する炎が他の人々に伝搬していく力となります。
「石中有火不打不発(せきちゅうに/ひあり/うたずんば/はっせず)」なのです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人でした。
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