「処処全真(しょしょ/ぜんしん)」とはどういう意味?
おはようございます。
今日は、こんな禅語です。
「処処全真(しょしょ/ぜんしん)」。
「処処」とは、ところどころという意味に採る方が多いのですが、
いたるところという意味です。
また、「全真」とは、まったくもって真理ということです。
つまり、いたるところ、全て真理であると言うことですが、
これは本当だと思えますか?
いやあ、そんな風には思えないよネ。
だってさぁ、上司は毎日言うことが変わるし、
昼飯食うのに20分も並んでいたら、
俺の前で定食が終わってしまうし、
寒いので熱いお茶でも飲もうと自動販売機に
お金入れたら、なんか生温いお茶が出てくるし、
あれっ!? おつりは・・・、
出ないじゃん。どこが真理なんだ!!
これはクマの日常です(カネ?)。
そうです、
ぜんぜん真理には観えないですよネ。
でもね、上司は毎日言うことが変わるってあなたは言うけど、上司が本当にあなたに伝えたいことって、何?
昼飯20分待っている間に、まわりの人の話していることの中に、仕事に活かせるヒントはなかった?
全てが真実・真理であるかどうかは、観ているあなたの捉え方一つで、変わるのではありませんか?
そうですよね。
この真実を観る主体は、あなた自身に他なりません。
どっしりとした主人公たる存在が在って初めて、処処全真なのです。
動じないあなたがいて、初めて素早い動きに対応できるのです。
同じような言葉に、「随処作主、立処皆真(ずいしょに/しゅとなれば、りっしょ/みな/しんなり)」と言う言葉があります。
どこにおいても、主人公と言うことを忘れなければ、
あなたが立っているその場所が真実・真理です。
人間の一生は、順風満帆ばかりとは限りません。
辛いとき、苦しいときが様々起こるものです。
そのとき、そのときでどのような状況においても、自分と言う主体を見失うことなく、その立っている場所で精一杯の努力をすることが大切なのではありませんか?
しっかりとご自分に向かっていれば、どのような状況にあろうとも、大地を踏み締めて、堂々と行動できるのではありませんか。
喩え、地獄であっても、閻魔さんと仲良くできれば良いじゃありませんか。(ちょっと飛躍し過ぎですか。)
そうそう、このような話を以前にもしたかも知れませんが、
我々人間が住むこの世界は「地獄」界に他ならないのではないでしょうか。
我々が生きるためにしていることを考えてください。
肉を食べる、魚を食べる、野菜を食べる。
食べないと我々は生きることができないのです。
しかも、すべて生きているものを食べるのですヨネ。
最初から生きていないものを我々は食することはできないのです。
そんなことはないと仰るあなた。
あなたは、石、土、砂を食べて生きていけますか?
他の命を頂くことでのみ、我々は生きていくことができるのですから、
我々の住んでいる世界は、地獄に他ならないでしょう。
でも、これが定めなのですから、なぜこのようにしてまでも
生きていかなければならないのかを考えることが大切だと思います。
この中にこそ、我々の真理があると信じて進みましょう。
深く悩んでおられる方に、このようなお話は辛いかもしれませんが、
まず、我々は生きるために他の命を頂いていることをしっかりと受け止めてください。
それらの命を頂いて、これから先、生きていくのなら、
それらに感謝して、活かせていただいていることに気付いてください。
このようにしてまでも生きることに意味があるのだと信じてください。
ここまでお話しましたことをもう一度お考えいただいて、全てが真実・真理なのだと気付いていただけるとうれしいのですが。
今回お話した「いたるところ真理」と言う言葉は、自分と言う「主人公」とともにあって、相成ることだと思います。
今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。。・
クマこと高柳昌人でした、
*このように禅語を絡めたコーチングをセミナーとして行なっています。
12月6日、12日の2回、無料セミナーを行います。
開催時間帯については、下記をクリックしてご覧ください。