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あなたが出会うべき人と出会ったときのために、あなたの花を育てましょう。

「百花為誰開(ひゃっか/たがために/ひらく)」(『碧巌禄』から)

庭の木槿がそろそろ終ろうとしています。
かわりに、西王母、本阿弥椿、白玉椿等、様々な種類の椿の蕾が
雨をごくごく飲んで、自分の出番を今かいまかと待ち焦がれています。

いったい、この花たちは誰のために、
そして何のために咲くのでしょうか?

花々に訊いても、特定の誰かのために咲いていると言った
花に出会ったことはありません。

花は自然の中で、時期がくれば咲きます。
誰のためではなく、何の目的のためではなく。
しかし無意味に咲くのではないと思うのです。

我々も花を見るまでは、そこに咲いていることを
気づかないのではありませんか?

しかし、気づかないだけで、
そこには花が敢然と在るのです。

お釈迦様は生きとし生けるもの全て、
人も動物も花、植物も悉く、
みな成仏であると仰います。

ですから、人間も花も同じ仏と成る
ことができる存在なのでしょう。

このような話をA君にしたら、間髪入れずに
次のように切り返されました。
「花は種の保存のために生きているんです」

そうなのでしょうか?
花は咲くまでに多大な時間を掛けます。

種の保存のみが目的ならば、何故、長い時間を
土の中にいて、花を数日咲かせて凋んでしまうのでしょうか?

私は、お釈迦様が仰るように、生きとし生けるもの全てが
仏に成るために生きているのだと思います。
花も人も仏に戻るために生きて、この世の「限りある生」を
学び、死んでゆくのです。

だからこそ、花は特定の誰かのために咲いているのではなく、
仏に戻るという大望を抱いて、花を咲かせるのです。
我々人と同じに。

さて、何時、何処で、誰と出会うか先のことは解りません。
だから、花のようにかくあるべくして咲けるように、
毎日、毎日を生き切ることが大切なのではないでしょうか。

この出会いと別れを繰り返しながら、自分のこころを耕し、
毎日を生き切る人生そのものをこの言葉に
重ねて考えて観たいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人) 拝

 

 

目次

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