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大暑、「桐始結花(きり/はじめて/はなを/むすぶ)」

おはようございます。
変な天気です。
大雨。暑い、熱い、アツイ。
これからが夏本番。

二十四節気では、いくら今日から「大暑」だからと言って、
これ以上暑くしなくってもいいじゃないの。
ウ~ン、ダメダメ!
ってな訳で、今日は一年で一番暑い日です。

皆さん、お身体をご自愛ください。

こんな暑い日は、仕事の手をちょっと休めて、
日本の文化の話でもいかがでしょうか?

さて、七十二候では、第三十四候、
「桐始結花(きり/はじめて/はなを/むすぶ)」です。
桐は、日本国にとっては神聖な木とされています。

聖天子がこの世に現れるときに、
一緒に現れるという瑞鳥、鳳凰(ほうおう)が
宿る木であるとされ、古来、天皇家に縁の
紋が桐紋とされてきました。

この桐紋には2種類あります。
「五七の桐」と「五三の桐」。

この違いはご存知ですか?
総理大臣の記者会見で総理が立つ演台に
付いているのが、「五七の桐(ごしちのきり)」です。
これは、日本国政府の紋章といえますよね。

「五三の桐」は代々の天皇から賜り
足利尊氏、信長、秀吉、代々の徳川将軍家が
政権を担当してきました。

この五七の桐や五三の桐を背負うということは
大変なことだと思います。

現政権担当者には、「大所」から物事を考えることの
大切さをこころに留め、日本国のみを死守することなく、
全世界のためにご行動いただきたいと思います。
(大暑だったので、この言葉を使って
みたかっただけですので、深い意味はありません。)

さて、この紋の上のほうに釣鐘のように付いているのが
「花序(かじょ)」と言われる花ですが、この花序が、

「3-5-3」と付くのが、「五三の桐」、この花序が
「5-7-5」と付くのが、「五七の桐」。

盛夏を迎えるこの頃、桐は実を結ぶそうです。

日の本に

五七の桐の

成果(盛夏)あり ? (クマ:お粗末)

日の本の五七の桐はどんな実を結んでくれるのでしょうかネ?
オリンピックで世界へ向けた本当の世界の平和を日の本らしく、
今の五七桐を背負った政府が自分の保身を求めることなく、
伝えてくれるよう祈念します。

伝統と品位を重んじ、すべての人々に
優しい心を伝えることができるでしょうか?

 

このように二十四節気、七十二候に日本の色、季語を加えた
『季語と色で知る七十二候』でもご覧になって
ゆったりとなさると、仕事も捗るんじゃないでしょうか?

目次

<時候を表わす季語>

季語と言うのはその季節を明瞭にイメージ
させるものではありますが、誰もが望まない
ことを季語とはしないのデス。

このくそっ暑いのに、「大暑」なんて言う人は
いないですものね。
(実は、大暑も季語なんですが
クマは嫌いです。

だから忌語(きご)としてしまいます。)

やはりここは涼しさを引き立たせてくれるものでしょ。
「滝(たき)」なんかいいんじゃないでしょうか? 

わが国は山の国です。
日の本は森林の国土面積66%にもなる
山に囲まれ、山に活かされてきた民族なんです。

山間を流れる水は急流となり
ところどころに滝ができます。
この滝の落ちる音、水しぶきが素晴らしい
涼しさを与えてくれることでしょう。

<時候を表わす色>

「藍色(あいいろ)」と言えば、歌川広重の
『名所江戸百景―日本橋雪晴』や
葛飾北斎の『富獄三十六景―神奈川沖浪裏』に
見られる独特な色が目に浮かびます。

この藍色は、当時、オランダから運ばれてきた所謂、
ベロ藍(ベルリンブルー、あるいはプルシアンブルーと
呼ばれた。)を指すのですが、
浮世絵に印象的に大胆に使われたからでしょうか、
ゴッホやモネらが盛んに賞賛し、「広重ブルー」と
まで呼ばれました。

さらにこの人工顔料はどこの流派にも属さず
独自の絵画法を編み出した謎の多い絵師、
伊藤若冲もこの顔料と日本古来の蓼藍を
混ぜて使い発色のよい絵に仕上げています。
このところ、若沖の描き方に大いなる興味があります。

さて、古来、日本で一般に使われていた藍色は、
蓼藍(たであい)を発酵して作った藍汁に
布をつけることで青い色を発色します。

何度も浸け込むことで色が濃くなってきますが、
この濃い色を指します。

現在、この藍色の色素を使った衣服と言えば、
皆さん、すぐに浮かぶのではないでしょうか? 
「インデゴブルー」。
そうです、ジーンズに使われている色です。

このインドから伝わったというインデゴは、
虫よけ、蛇よけとして有名ですヨネ。

インド原産のインド藍はマメ科の植物ですが、
日本で使われてきた蓼藍はタデ科、
あるいは大青と呼ばれるアブラナ科の
植物等に含まれるインデゴと言う色素を持つ
植物から作られるのです。

青さが濃い色から、「紺色(こんいろ)」、
「藍色(あいいろ)」、徐々に青色が
薄くなるに従い、「縹色(はなだいろ)」、
「浅葱色(あさぎいろ)」、「瓶覗(かめのぞき)」と
呼び名が変わります。
 
そうそう、縹色は、平安時代の呼び名で、
江戸時代には「花田色」と言い換えられたと
聞いています。

同じ兄弟なのに仲が悪いからと言って
呼び名を変えたのではないでしょうネ。

今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

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