禅語でコーチング、クマさんのワンフレーズ:将来の花をワクワクと観ながら、今、種を蒔く
「将来の花をワクワクと観ながら今、種を蒔く」
自分が今やっていることをつまらないことだと思えば、
その後の結果もつまらないことにしかなりません。
変化の種を自分で摘んでしまうことほど
勿体無いことはありません。
動画:2分51秒
目次
禅語:「凡転成聖(ぼんをてんじてしょうとなす)」
よくコーチングの中で、「レンガ積みの青年」の話をすることがあります。
ある村に立ち寄った旅人が、一人の青年に出会います。
旅人がその青年に尋ねます。
「あなたは何をしているのですか?」
その青年は答えました。
「別に何も・・・、ただ、レンガを積んでいるだけさ」
小さく自虐的にも聞こえる声で地面を見つめながら吐き捨てました。
旅人が更に歩いて行きますと、また一人の青年に出会います。
同じように尋ねます。
「あなたは何をしているのですか?」
その青年は答えました。
「ここに教会を造るんです。そうしたら村中の人がミサに集まり、みんな楽しそうに語り合うようになるんです」
ワクワクした表情で旅人の目を見ながら大きく明るい声で言いました。
この二人の青年の行動は同じです。レンガを積んでいる。しかしこの二人には決定的な違いがあるのです。先の青年は何の目的もなく、ただレンガを積んでいるだけです。後の青年は村の人々が楽しげに談笑している姿を目に浮かべ、教会が出来た後に村人が楽しく集まる場所にすることを目的としています。これは大きな違いでしょう!
今回の「凡転成聖」はこの話に通じるのではないでしょうか? 何気ない行動、つまらないと思うことの中にも、大きな後の変化が含まれていることがあるのです。
その凡をつまらないものと思ってしまえば、その後の変化の種は無くなってしまうかも知れません。
このように観ますと、凡の中に既に聖が抱合されているということになります。何気なく行っている日常のことをもう一度見直してみては如何でしょう? それこそ、聖なるもの、聖なることがいっぱい発見できるかも知れません。