「名利共休(みょうり/ともにきゅうす)」小欲は己がため、 大欲は他がため。
おはようございます。
「名利共休(みょうり/ともにきゅうす)」
名誉や利益を追い求めないと言うことです。
なんだそれだけのこと?
簡単な内容にみえますが、実際に行うことは
難しいのではないでしょうか?
これをご自分の名にしっかりと刻み込み、
生き切った方がおられます。
千利休は皆さんもご存じでしょう。
利休さんは、時の権力者・秀吉に媚びることなく、
「人生七十、力い希咄(じんせい70、りきい/きとつ)」と
言って喜んで切腹しました。
これによって、利休の名は今も生き続けています。
さて、今日の言葉をお名前に持つ利休さんが何を目指していたか、
未だ若輩のクマには解りかねますが、欲を捨て切ることに
徹していたように思います。
ただ、自我がある以上、欲は果てのないものです。
さらに、小さい欲と大きな欲には欲としての違いは何らありません。
「○○をしたい。」
ここからすべてが始まります。
この夢がなければ、人間の存在理由はないと言っても過言ではないでしょう。
ただ、いつまでも自我を自分の真の姿と思い込まないで欲しいのです。
さて、利休の禅師・古渓宗陳から、利休はこの名を
いただいたのですが、最後の最後に自分自身の、
名誉や利益ではない、本当の物を得るために、
腹を切ったのでしょうか。
「人生七十、力い希咄、吾這宝剣、祖仏共殺」
利休の辞世の句では、潔い利休の気持ちが
表れていると思います。
「人生70になって、ええ~い。おお~っ。この馬鹿者!
我がこの宝剣を持って、祖先、先達、仏と供に
(我が人生を)終わらせん。」
凄い気概です。
禅の影響を深く受けた利休らしく、他者へ伝える芸術と
してではなく、一個人で完結する茶道を求め、
後に続く愚者への強い教えとしたのでしょうか?
辿らんと(たどらんと)
思う我が師の
道は他が道(みちはたがみち)
草深し
道なき原を
一歩踏み出す
ここぞ我が道 (クマ;お粗末)
自分のために名を上げることに終始する。
自分のためにお金を儲けることに終始する。
これを目的とするか、それとも他の目的を見出すか?
誰かのために自分の持っている知識と智恵を思う存分発揮する。
それによってその誰かが楽しくなれるように。
楽しくなる連鎖によって、だんだんに横の人たちが
同じく楽しくなれるように。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。
今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。
*力い希咄(りきい/きとつ)の「い」は、国がまえ(口)の中に、力と書くのですが、字体が見つかりませんのでひらがな表記とさせていただきました。
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