「寿山萬丈高(じゅざん/ばんじょう/たかし)」
おはようございます。
今日はこんなお話ではいかがでしょうか。
「寿山萬丈高(じゅざん/ばんじょう/たかし)」という言葉があります。
山が高いがゆえにあやかり、人の命の長くありたい、できれば永らえたい。
萬丈とも見える山と言いますから、3000m級の富士山でも
指すのでございましょうか?
何も実際の山を見立てているのではありませんが、
これほど人とは長生きを願うものなのでしょうか?
この言葉は、よくお茶席で見ることがございますが、
どのご亭主も「本日の主客のご健康とご長寿を
お祝いいたしまして、このお軸を
掛けさせていただきました」
このように仰います。
人生の先輩がご壮健であられることを寿ぐことは
素晴らしいことでございます。
そしてわれわれ後に続く若輩も先輩、先達にあやかりたいと
願い、ご一緒に懐石を戴く。
とても豊かな時間とは思います。
確かに長寿を祝う気持ちはクマにもございますが、
しかしながら、あなたは明日の長寿を願いながら、
今日の一日をどのように生きるつもりなのでしょうか?
長寿を願うあまり、今の今、ここに生きていることを
忘れてしまうことはありませんか?
われわれは永劫を生きること能わず。
ならば、今この一瞬がすべて。
言い換えれば、この一瞬が自分にとっての永劫と
観る方が腑に落ちるのではないでしょうか?
そして、一瞬、一瞬を生き切ることは
できないのでしょうか。
今日の言葉を見ながら漠然とクマが観ていたのは、
生き切っている自分。
この生き切っていく自分の一瞬、一瞬の繋がりが
自分にとっての永劫であってもいいのじゃないか。
人が作った時間など何の意味があろうか?
われとともにわれの宇宙が消えてしまうと考えれば愉快。
などと愚託を並べているクマですじゃ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。