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あなたのビジネスに必要なことー修六度萬行(ろくどまんぎょうをしゅうず)

おはようございます。

今日は、臨済禅師が仰った言葉をお話しします。
人間として成長する際に通らなければいけない六つの修行があるということです。
所謂、六波羅蜜(ろくはらみつ)と言いますが、人間が成長する過程において重要とされる六つの実践すべきこととして、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つを指します。
これら六つをクマの勝手な解釈でお話させていただきます。
ご海容いただきますよう、お願い申し上げます。

目次

① 「布施(ふせ)

① 「布施(ふせ)」とは、
自分にのみ焦点を当て、自分の利益を考えることではなく、
他者に与えること、奉仕することです。

なにもお金を施せとは言いません。
 
目の前に重い荷物を持つ人がいれば、持って差し上げる。
あるいは悲しい思いをしている人に「悲しいね。」って共感することでもいいんです。
相手に何をして差し上げられるのかをこころに想うことが肝要ではないかと思います。
 

② 「持戒(じかい)」

② 「持戒(じかい)」とは、
今、自分が正しい道を歩いているのかを常に自分に尋ねる
意思を持って毎日を実践することです。
 
このように言いますと、これをやっちゃダメ、あれはいけないことだ、
と自分をルール、規則で雁字搦めにしてしまう方がおられますが、

まあ、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないでしょうか。

クマ語では「顔晴る(がんばる)」と言いますが、
肩肘を張らずリラックスして顔を和かにして
毎日を過ごしてはいかがでしょうか?
これは自分を清めていく作業なのです。

③ 「忍辱(にんにく)」

③ 「忍辱(にんにく)」とは、
何事にも耐え、忍ぶという意味です。
何事にもこのような時期があります。

そして、これがあることは必然なのです。
 
耐え忍ぶことなんて嫌だと仰る方ほど、
これによってこころが縛られてしまったのを見てきました。
 
こころを縛るのではなく、錬ることが大切なのです。
自分のこころを錬り、練るほどに、他者に対して、
許す寛容の気持ちが養われるのだと思います。

④ 「精進(しょうじん)」

④ 「精進(しょうじん)」とは、
常に努力することです。
クマは日本酒が好きなのですが、お米の旨さを引き出すために、

精米歩合40%などといいますよね。
これは、一粒のお米を中の芯を得るために
60%も削るということです。

さて、日本酒の好きな方は、「獺祭」と言うお酒をご存知でしょう。
この酒の銘柄に、「磨き二割三分」というのがあります。
一粒のお米の77%を削って旨みを引き出し、雑味を除いたお酒です。
ここまでして初めてお米の本当の旨みが出てくると言います。
 
「精」とは、この日本酒のお米と同じように
こころを削っていく作業を指します。
 
えっ?
こころを削っちゃダメでしょ、と仰るかも知れませんが、
こころとは元々は「カオス」そのものなのですから、

余計なもの、不純なものがいっぱいくっ付いているものと
クマは考えていますので、こころを削ることは決して

自分のこころを失くすることではないのです。
 
しかも、自分のこころを他者のために削り、
これを他者に与えますと、先程、クマは余計な物、
不純なものを削ると言いましたが、

不思議なことに他者にとっては恵、宝物となることが多いのです。
しかしながら、最初から相手に恵み、宝物を差し上げることは難しいと思います。

酒米の精米過程に於いても最初に削ったところには雑味があります。これと同じです。
 
クマには小学校の頃の思い出があります。
クマより3年うえの男の子たちがクマと同じ
クラスの男の子を虐めていました。
 
その頃のクマは生一本と呼ばれるくらい曲がったことが嫌いで、
その上級生に「なんで、大勢で一人を虐めるんだ。」と
くってかかりました。
3人を転がしたところで、彼らは逃げ出しました。
 
残った同級生に、「もう大丈夫ダヨ。」と
言って、その場を去りました。

そのときのクマのこころには、
弱い者を助けたという誇らしげな
があったかも知れません。
 
その数日後から、クマのクラスの他の子たちが
あの上級生たちに虐められ始めました。
 
クマの「他者を助ける。」と言う驕り高ぶった
自己満足な行為が他の人たちにも大きな影響を与えたのです。
 
クマはその上級生たちのクラスに行って、
殴った行為を謝り、頭を下げて、
「下級生を虐めないで!」と訴えました。
 
これも上等な解決法とは言えないのでしょうが、
そのときは、その上級生のクラスにクマが
幼稚園の頃から遊んでもらっていた
お兄ちゃんがいたお陰で事なきを得ました。
 
変な例えで申し訳ないのですが、自分のこころを削ると
言う行為は自分に少しでもベクトルが向いているときは
本当の行為ではありません。

このような失敗をいっぱい繰り返しながら、

段々と相手に、こころを削れるようになるのです。
このことを精進と言うのだと思います。

⑤ 「禅定(ぜんじょう)」

⑤ 次は、「禅定(ぜんじょう)」です。
禅と言う言葉が一般用語となった現代に於いて、

この言葉を知らない方はいないでしょう。
しかしながら、禅寺に行って、足を組み、目を閉じて
こころを統一することが禅定だと思って
いらっしゃる方が多いのではないでしょうか?
 
クマは、我々が普段の生活の中で、何事にも動じることなく、
臨機応変としたこころの自由な動きが常にできることが、
ここで言う禅定なのだと思います。
 
そのためには、やはり他者を観ること、
自分を観ることが大切なのだと思います。

⑥ 最後は、「智慧(ちえ)」

⑥ 最後は、「智慧(ちえ)」です。
これを得るには、やはり経験が何よりも必要なのではないでしょうか?
 
色々な経験をしたことを組み合わせて、新しいこと・ものを考える。
また、自分の経験したことから、目の前にいる他者の悲しみに共感できる。

そして、得た創造、あるいは共感を次の行動に繋げる。

この行動こそが智慧なのです。
智慧とは、相手に与える行動そのものを言うのです。
 
このように六つの段階を観てきますと、
自分中心、知識中心、自分対相手、共感、
ソーシャルコミューンへの自己の変化が
少しずつ出来てくるのではないでしょうか?
 
「修六度萬行」

我々は、生きている限り、完成はないことは
知っていますが、この六つの修行を繰り返して
いくことこそが大切なのではないでしょうか?

今日は、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

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