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3月3日はお雛祭り

おはようございます。

神奈川県相模原市に座間神社さんがあります。

こちらでは古いお雛様を奉納される方が多く、

そのままお焚き上げするのも可哀想と神職さんが

集まったお雛様たちを神社に飾って見ていただくことになさいました。

捨てられ、哀しいお顔だったお雛様たちの

嬉しそうな顔がとても素敵な「千体雛」のお披露目です。

2023年、今年は明日3月4日までお雛様たちがあなたを待っていますよ。

 

とても素敵なお雛様に優しい行事なのですが、

今年は開催は難しいかな?

 

今日は女性にとって大切な五節句の一つ、

「上巳(じょうし)の節句」です。

雛祭りと言った方が解り易いでしょうネ。

 

現代のように「お雛様」を飾るようになったのは、江戸時代に入り、

宮中行事が江戸に広まったことが始めとされていますが、

各地には面白い風趣が未だに残っているようです。

 

平安時代から続いているとされる、「人形(ひとがた)」を

身体に当てて邪気を祓い、この人形を3月の上巳の忌日に

川や海に流した風習が、「流し雛」として残っているところもあります。

 

また、暖かくなるこの時期に、磯に出て遊ぶ風習や

山で遊ぶ風習もあったようです。
現代でも、磯で遊びますよね。

これをわれわれは、「潮干狩り」と呼んでいます。

また、山遊びは、もうお解りでしょう。

「お花見」ですよネ。

 

これらは、身体を日常とは違う場所で動かすことで、

身体に残っている邪気を祓い、健康になるための

方法と考えられるのではないでしょうか。

 

うちのクマ女も2週間ほど前からいそいそと、

内裏様をお茶室に設えていました。
今日、クマが出かけるときに、「蕨餅と桜餅それとも

草餅にしようかしら? 買ってきてネ。」と言われました。

いつまで経っても素敵なクマ女デス?
でも、買って帰ったら、クマにもお抹茶を

点ててくれるつもりなのカナ?
桃の花をお酒に入れて、長寿をお祝いしようと

言いながら、飲み過ぎて長寿じゃなくなって

しまうカモ?気を付けようっと。

 

内裏雛

海山食す

寿ぎ日 (クマ:お粗末)

我が子へと

 

ひな継ぎ飾りし

 

母の笑み (クマ:お粗末)

 

山海の珍味をチラシずしにして、蛤の潮汁、桃花酒、

白酒、蕨餅(草餅)などをいっぱいお内裏様に

召し上がっていただきながら、クマ女とクマもご相伴、ご相伴。
長寿を寿ぎて。今日は楽しい、雛祭り!!

 

さて、このように3月3日は、女性にとっては大切な

雛祭りの日ですが、何段も出したり、仕舞ったりするのは

面倒だから、私の家は内裏さんの女雛だけ出してるの、

とケロリと仰っていた方がおられます。
左右両体が揃ってこそ、陰陽のバランスがとれるんですヨ。

それに、女雛様が、私一人の方が気楽でいいわっ

なんて仰ったらどうするんですか?
あなた方の大切なお姫様に素適な男性を

世話してくれなくならないですか?

 

今からでもいいですから、少なくとも男雛様を

しっかりと女雛様に添わせて差し上げたらいかがでしょうか。

 

春は恋の季節です。

3月3日の雛祭りには良い人との出会いを願って、

蛤を食すのでしょうネ。
(唐突に蛤に話を移します。(;^_^A )

<時候を表わす季語>

3月3日と言えば、この季語を知らない人はいないのでは?
「雛祭(ひなまつり)」。何の説明もいらないですヨネ。

 

ただ、クマは男なのであまり関心がないのですが、

女の子や奥方様にとっては大層な出来事のようです。

 

早くお嬢様を良い縁組に結び付けたいとの思いからでしょうか、

2月に入りますとお雛様の飾りの準備を始め、

3月3日が過ぎますとまるで早くお嫁に行ってほしいとばかりに、

そそくさとお雛様を片づけるようでございます。
でもネ、本来は桃の節句と言い、旧暦の3月、上巳の日のお祭りです。

現代では4月に当たることになりますので、

桃の花が咲く時期とあっていたのですが、

今は3月3日なので、まだまだ桃の花には遠い時期で、不思議でした。
また、古来、日本には、「貝合わせ」と言う遊びがありました。

蛤の貝殻の性質を用いたものですが、何千枚の貝殻があったとしても、

元々一つであった貝殻しか、ぴたっと一対にはならないのですネ。
夫婦和合の象徴としてこの蛤を観ていたのでしょう。

だから、ご両親、ご家族が目に入れても痛くないお姫様の幸せを

祈って蛤の潮(うしお)汁(じる)を仕立てるのでしょうか?

(いやいや、たまたまこの時期が蛤の旬だし、古くから

日本人は蛤を食してきたからだけの理由だよ、なんて無粋はイヤヨ。)

 

「蛤」が丁度旬なのです。この言葉も季語となっています。
蛤は古くから日本人が好んで食していただけではなく、

先程言いましたように、平安時代に貝合わせと言う遊び道具として、

更に碁石として、あるいは、絵の具の胡粉(ごふん)として使われました。

 

雛祭りにこの蛤が使われるのは、何も旬の食材と言うだけではなく、

貝合わせと言う遊びを見ましても、この蛤の貝殻の特徴として、

採れた時の一対以外を組み合わせようとしても、ぴったりと合わないのですね。

ここから一人に添い遂げると想像して良い縁を

齎してくれると考えたのかも知れませんネ。

<時候を表わす色>

貝合わせなどをして優雅な生き方をしていた平安時代の

人は「ミル」を食していました。

 

皆さんは、どんな食べ物だと思われますか?
大概の人は、「ミル貝」を想像されるのではないでしょうか?

 

バカガイの水管部分を刺身にしますと大層美味いものですが、

今回の「ミル」はこれではありません。
「海松」と書く海の藻のことです。

 

嘗ては、食用とされていた海松は、磯の岩肌によく

見られるものですが、二股に分枝を繰り返し、

大きくなっていく様が扇状となるので、

松に似ていることから、海の松と呼ばれました。

 

そしてこの海松を食したと言われるのが、先程のミル貝。

海松食と書き、ミルクイと呼ばれました。
さて、このような海松の形を平安時代の人々は衣装に描き、

鎌倉時代の武士、室町時代の文化人には色として好まれました。
このようにしてできた色が、「海松色(みるいろ)」です。

 

暗い灰味がかった黄緑色で、深い幽玄の世界を

覗き見ているかのような色調です。

 

また、この色は江戸時代の人々にも好まれ、

海松色に青みの強い藍色を混ぜたような深い

青緑色を指す「海松藍」、褐色を強くした「海松茶」、

更には、海松藍に茶を加えた「藍海松茶」などと

言うちょっと前に流行ったAPPAのように

何でもくっつけて好みの色を作り出しました。
しかし、どの色にも共通するのが江戸の粋でしょう。

末広がりに枝を伸ばす海松を縁起物として

祝いの席に重宝したものと考えられます。

 

今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。

座間神社の写真もこの本に使わせていただきました。

よかったら読んでみてください。

クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

 

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