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優しい言葉を使う=愛語施(あいごせ)

こんにちは。遅くなりました。
今日は、こんな話です。

今の時代は、コミュニケーションが大切だと言われます。

「だから、話が途切れたりするのはだめだヨ」
このように仰る方がおられます。
この方、このようにも仰いました。
「だって、何?、何?、何?って訊かなければ

相手はきちんと答えてくれないから、真実を知る為には、

やっぱりコミュニケーションが必要なんだヨネ」

この方の仰っている真実って何なのでしょう?
人が10人いれば、10通りの真実があります。
ご自分が思い込んでいる真実を追求していても、何ら

相手との接点を得ることはできないのではないでしょうか。

コミュニケーションは自分の考えを相手に伝えることや
相手の考えを訊き出すことも大切でしょうが、
相手の感情を思い遣ることも大切なのではないでしょうか?

日本語では、相手とこころが繋がっている状態を
「黙契(もっけい)」と言います。

お茶の例で考えてみましょうか。
お茶の世界では、挨拶、主客の言葉のやり取りが重要視されます。
しかしながら、逆に、言葉が無い状況も作ってあるのですネ。

お薄を口に含みながら、
「結構なお服で。お詰めは?」

亭主はお水を釜に入れ、お湯の調子を伺いながら、
「もう一服いかがでしょうか?」

決めごとと言えば決めごとではありますが、
どのような変化にも対応できるような凛とした風情があるお点前です。

このようなコミュニケーションを採りながら、
一方では次のようなことがあります。

客が中門から路地に入るとき、亭主が中門の戸を静かに開けて黙礼をします。
客はこれを受けてやはり、黙礼をしてスッと入ります。

ここの黙礼は所謂、「黙契(もっけい)」と考えられます。

お互いが目を合わせているのに、なぜ言葉を交わさないのでしょうか?

わたしは次のように考えます。

言葉を介するのは、相手の意思を確認する必要があるからです。
黙契は、一瞬の出会いによって、お互いの意思が確認され、
お互いのこころが繋がっている状態です。

 

言葉は便利なものではありますが、言葉を交わせれば、

すべての意思が理解し合えるものではないのです。

こころのすべてを伝えることのできる表現方法はないのです。
言葉で伝えられなこと、伝わらないことがあります。

小さい頃のことを思い出すことがあります。
わたしが悪いことをしたとき、叱られると覚悟して

母の前に正座をしました。

母は何も言わず、わたしの手を握っていました。
こわごわ母の顔を下から覗きこみましたら、
母の目に泪が浮かんでいました。

このとき、初めて自分が悪いことをしたのだと本当にわかりました。
言葉を発することが相手に伝わることだけではないのです。

大切なことは次のようなことではないでしょうか。

「無財の七施(むざいのななせ)」と言う教えの中に、
「愛語施(あいごせ)」と言う言葉があります。
言辞施(げんじせ)と言うこともあります。

われわれは他者と出会えば、挨拶を交わします。
そのときに、和やかなこころがこもった言葉を相手に使う。
初めて会った相手に優しく親しみのある挨拶をする。
「おはようございます」
「こんにちわ」

なんとなく、こころがフッと軽くなり、
その後の会話が楽しくなるのではないでしょうか?
このような挨拶ができればいいですね。

挨拶ひとつで人の気持ち、そしてご自分の気持ちも優しくなれるものです。
また、優しく相手に向けられた言葉は、相手の行動を促すことにも繋がります。
愛語施と言う言葉をこころの隅に留めて置いてください。

コーチングのスキルと言われるものはたくさんありますが、
突き詰めて言えば、相手の気持ちを慮(おもんばか)ること。
相手にこころを配ること。
これに尽きるのではないでしょうか?
ですから、クマもスキルについてお話をしていますが、
スキルに執着しないことが大切です。
スキルに執着過ぎたるは、スギルと言います。
(点が2つも多いですものネ。)

話を少し戻しましょう。
柔らかな口調で「おはようございます」と言えば、
聞いた人も優しく「おはようございます」と返してくれるものです。

われわれはコミュニケーションを必要とする動物です。
そしてこの主たる伝達手段は、言葉ですが、
この言葉ひとつが相手の人生を左右することもあるのです。

つい、うっかりと掛けた言葉が相手を深く傷つける。

恐ろしいことだと思います。
悪い言葉を発しないように、良い言葉を発するように気をつけること、
そしてそのとき、相手を慮るこころを持つことが

大切なのではないでしょうか?
それはあなた自身のこころをつくることにも

繋がるのでないでしょうか。

まずは、挨拶を優しく掛けることから始めましょう。

 

今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。

高柳昌人でした。

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