「人間好時節(じんかんのこうじせつ)」
おはようございます。
こんな言葉が『無門関』にあります。
「人間好時節(じんかんのこうじせつ)」。
人の一生を見ますと、良い時期、悪い時期が入り組んでいるように見えます。
一生を通して全てがバラ色に見える方はそうはいらっしゃらないように思えます。
周りから見て、あの人は良いことづくめの人生だと思える方にも、
その方の中では、色々と揺れ動き、悩んだり、落ち込んだりした時期もあることでしょう。
クマもそうですが、人というものはなかなかあるがままにものが見えないもののようでございます。
「春有百花秋有月、夏有涼風冬有雪、若無閑事挂心頭、便是人間好時節」
春には百花が美しく咲き、秋には愛でる月がある。
夏には涼風に身体を涼め、冬には真っ白な雪にこころを洗われる。
このような四季が続くのだから、もしわれわれがつまらない些細なことにこころを惑わされず、物事に執着しないのならば、誠に人間(じんかん:世の中)はいつもよい時節であろうに。
このように訳せるのでしょう。
確かに頭ではこう有りたいと願うのですが、実際、毎日を送っていますと。
何が春には百花が美しいダ、クマなんかは花粉症がまた来るのかと戦々恐々だぜ。
何が夏の涼風ダ、熱くて暑くて、クマの身体の汗で塩が作れるってもんだ。
何が秋には月を愛でるダ、今日も台風、明日も台風で、家が壊れないかとたまったもんじゃない。
何が冬の雪はいいダ、寒くって凍えてしまうじゃないかい。
このように観えてしまうのは、クマがひねくれているのでしょうが、はたしてクマだけ?
ただただあるがままをあるがままに受け入れ、喜ぶことがこれほど難しいこととは思ってもみませんでした。
ちょっとしたこころの変化で見えるもの、捉えるものが違ってきます。
もしかして、些細なことにこころを囚われるのは、自分と他者を常に意識して、比較をしてしまっているからかも知れません。
もしかして、正と邪、陽と陰のように物事を両端に別けて捉える癖がついているからかも知れません。
置かれた状況を一旦、受け入れてみれば、春の百花、秋の月、夏の涼風、冬の雪が
美しく、そして優しくいつでも自分の周りに在ってくれることに気づけるのかも知れませんネ。
今日は短く、お話しました。
高柳昌人でした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。