バランスを取るとはどう言うこと?
おはようございます。
梅雨ともなりますと、鬱陶(うっとう)しい季節ですが、
素敵なこともあります。
我が家のすぐ裏山に竹林があります。
この時期、雨滴を撥(は)ねながら、青竹が
天に向って真っ直ぐに伸びる様が
とても美しい季節となります。
夏来たり
友と寿(ことほ)ぎ
竹酔日(ちくすいび) (クマ:お粗末)
こんな日に、友と酒を酌み交わしました。
楽しくて、たのしくて、気がついたら11時でした。
5時から飲み始めて6時間。
仕事でもこれくらい集中できればなア、とは友の言。
夏至となり、ますます暑くなるこの時期。
酒を酌み交わしながらお互いの健康を祝うと
いう目的が6時間も飲んでいたら。ダメダヨネ。
さて、昔は日本酒のことをササといいました。
これは、笹の葉を折って器として日本酒を
飲んだことからくるのでしょうか、あるいは、
田圃の神様である、「サ」の神に、お米を
作っていただいたお礼として
「ササ」と言うのでしょうか?
いずれにしても、笹には抗菌作用があると言われます。
例えば、富山の鱒ずしは笹で包まれていますよね。
さて、中国では、6月下旬に竹が一気に伸びる
頃をなぜか竹が酔っぱらっていて竹自身が
一気に伸びるのにもキズカナイ、あるいは、
ちょっと人が飲んでいる間に一気に竹が
伸びているのに気がつかない、
などと言い、この時期(旧暦5月13日)を
「竹酔日(ちくすいび)」と言ったそうです。
さしあたり、昨日が、我々2人の竹酔日です。
さて、「竹」を使った禅語に次のようなものがあります。
「竹翠払仙境(ちくすい/せんきょうを/はらう)」
右記でもお話したように、この季節、竹がすくすくと伸びてきます。
仙人が住むという幽玄深い世界でも若竹が一気に伸び、
命溢(あふ)れる躍動感に満ち満ちた世界へと
変えてしまいます。
竹がすくすくと伸びることで、幽玄として動かない世界が、
命溢れた活気、躍動感に満ちた動きのある世界へと変化します。
もう一つ、変化することと変化しないことの対比として、
次の禅語も興味深いのではないでしょうか。
松無古今色(まつに/ここんの/いろ/なし)
竹有上下節(たけに/じょうげの/ふし/あり)
この2つの言葉はペアとして考えてみてください。
松は常に翠(緑)ですよネ。
この松の色が変化しない様子を不変、不動のことと捉えてきました。
それでは、竹と言う言葉はどのように解釈すればよいのでしょう?
竹には必ず節がありますよネ。
松の段では、世の中の物事には道理、真理があり、
変わらない一つのことがあると言う意味が
込められていたのに対し、
竹の段では、竹に節があるように、
世の中にも上下と言う差別、変化が
厳然として存在していると謳っています。
一見矛盾しているように聞こえます。
でも、これまでクマのブログをお読みいただいてきた方にはお解りになられますよネ。
「陰」と「陽」。
この2つを両儀と言います。
この両儀が合わさって一つとなったものが、「太極」。
太極拳のマークで表現されている白と黒の魂が一つにくっついたものです。
森羅万象(しんらばんしょう)、すべてのもの含む、
原初のことを言います。
動かないものと変化するものが合わさって、
この世は成り立っているのです。
上掲した松と竹の段、両方相まって、バランスがとれているのです。
昨日のブログでも言いましたが、
我々も、しっかりとした自分の軸と、環境の変化に合わせ闊達に変化していく自分の両面のバランスを持って観つめるようにできれば良いですよね。
今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。