バランスが取れている状態とは?
おはようございます。
今日は、こんな、話はいかがでしょうか?
以前住んでいたフランスでは、左右対称の建物、構造物が多かったんです。
ベルサイユ宮殿は外観も建物内部の構造も左右対称、シンメトリーでできています。
フランス人はシンメトリーが好きな国民なんでしょうね。
さて、このシンメトリーですが、左右対称の様を表しますので、
確かにバランスがとれているんですよね。
しかし、なんかクマの頭の中で引っかかっていることがあるんです。
バランスがとれていると言う事は、= 左右対称のことなのでしょうか?
わたしには、「バランスがとれている状態」とは、
けっして左右対称物のように安定して動かない状態を指しているとは思えないのです。
むしろ、左に右にあるいは上に下にと自由に動き、
その動きがあって初めて均衡がとれる様が
「バランスのとれている状態」と思えるのです。
目次
左は左、右は右? 左右対称?
左は左、右は右。
これでは、いつまで経っても
左の見え方が右には理解できない。
右の見え方が左には理解できない。
左が右に動いたり、右が左にちょっとズレてみたり.。
こうなることで、それぞれの見え方ができるのではないでしょうか。
視点をずらすと言えばよいのでしょうか。
ともすれば、我々は、安定して動きのない状態を良しとすることがあります。
その状態を一点からしか見ないのであれば、自分の居る環境は安定していると
いつまでも信じ込んでしまい、自分の足元が崩れるときになって、失敗した、
もっと周りを見ておくんだった。と言う事になりかねません。
○ もっと視点を自由にずらすこと。
○ 一点のみに立ち位置をとらず、常に動くこと(上下左右を考える。もしかしたら、時間の概念も採り込んで)。
○ 自分の芯を強く、大きくすること。
この3つをまず、頭に入れ、バランスをとるということをもう一度考えてみられてはいかがでしょうか?
この3つを頭に入れてと言いましが、なかなか理解しにくいかも知れません、
「只管打坐(しかん/たざ)」
それではどうすれば上記のような観点に立てるのか、
そして自分の芯を強く、大きくすることができるのかを
一緒に考えてみましょうか。
嘗て、上記のような行動がとれないと仰る方に
どんなことが妨げになっているかを訊いたことがあります。
「いや、一所懸命に視点をずらそうとしているんですが・・・。」
「視点をずらそうとなさったときに、どんなことに注意を払われましたか?」
「例えば、相手の言っていることに視点を置こうとするのですが、どうしても私の考えと違うなと思ってしまって。」
「そうですか、Tさんは相手の言っていることに視点を置こうとしたのですね。」
「うん、やはり相手の言っていることを理解することから始まるからね。」
このような会話が続いたのですが、Tさんからは視点をずらすことに対する妨げがこれだと言う意見は出てきませんでした。
しかしながら、この会話の中からクマはTさんが
相手に視点を置こうとするときに、
自分自身に視点を置いたまま相手に視点を
ずらそうとしているように思えました。
そこでこのように訊いてみました。
「Tさんは相手に視点を置いたときに、Tさん自身はどこに在るのですか?」
Tさんは、「えっ?」と言いながら、あたり前のことをなぜ訊くの? って言いたげに、次のように応えました。
「自分を失くしてしまったら比較ができないですから、勿論、僕の中にしっかりとあります。」
禅語で、「只管打坐(しかん/たざ)」と言う言葉を
お聞きになられたことはありますか?
道元禅師の教えとして有名ですが、只管(ひたすら)に、座禅を組むと
言うことでしょうが、これではどうも取りつく島もないようです。
坐を打つと言う意味がなかなか思いつかないのではないでしょうか。
以前お話しましたが、「打つ」と言えば、棒か手か何かを持って
叩くと言う意味に捉えてしまいますが、
ここでは、一つのものと一つのものがぴったりと合わさることと考えてください。
このような意味合いから、徹すること、あるいはなりきることと
捉えてみてはいかがでしょうか?
つまり、「只管打坐」とは、ただひたすらに、坐ることに徹してみよ。
このように聴こえて参ります。
「視点をずらすコツ」
「視点をずらすコツ」も実は、この、「只管打坐」と同じことではないでしょうか?
相手の視点になりきって観る。
その瞬間は自分がなくてもいいんです。
いや、自分があればどうしてもそこに引っ張られ、
比較が生じてしまうのではないでしょうか?
思い切って自分をその視点まで、ずらして観てください。
そうすれば、次のような状態は嘘のように消え去ると確信します。
○ 行動が遅い。
○ 周りが観えない。
○ 不安な気持ちが拭えきれない。
○ 深刻にことを考えすぎる。
○ 結果が出ているのに見過ごしてしまう。
なぜならば、自分が抱えていたと思っていた心配事が、
実は何の実体もなく、自分が勝手に作り出していた
ことが解るからです。
あるいは、微かな実体があることを自分が想像の中で
大きくしてしまったことが解るからです。
視点をずらすことが出来ない人は、どうしても自分にしか
ベクトルが向いていないので、上記のような状態になりがちです。
視点がずれたその瞬間に、その実体をしっかりと感じることができるのです。
われわれの生活の中でも、視点をずらして観ることで、
例えば、それまで重荷と思っていたことが、
主に実体のないことだったってことが解ることがあります。
視点をずらすことを、クマは別の言葉で次のようにお話することもあります。
辛いときは、背負っている荷物をちょいと横に置いてみてください。
背負っている荷物がどんなものなのかを知らないで重い、辛いと
言っている方がおられるのではないでしょうか?
荷物を横に置いて、荷物を眺めて観ましょう。
背負っている荷物を横に置く方法が解らない方のために次の方法を伝授します。
腰を少し落として、両手を肩の上に、
そこにリュックサックのひものように、
肩に食い込んでいるひもがあります。
これをそれぞれの手でしっかりと掴んで、思いっきりグイっと、
「エイッ!!」と引き上げ自分の横に置きます。
どうです?
置けましたか?
しっかりと自分の荷物を観てください。
これは何時間もかけてすることではありません。
また何時間も横に置いておくことはできないでしょう。
だから、横に荷物を置いたときの、感覚、感情を味わってください。
そして一杯のコーヒーを楽しんでください.
これも視点をずらす方法です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。