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感謝と謝罪ー全く感じは違うのに、なぜ同じ漢字なんだろう?

おはようございます。

今日は、「謝」についてお話します。

「謝」を使った言葉を挙げてくださいと言いますと、大概の方は、

「感謝」、「謝罪」、と言う漢字を思いだされるのではないでしょうか。

同じく謝が入っているのですが、感謝と謝罪では

まるで正反対の意味のように見えます。

そもそも、「謝」とは、どのような意味を持つ漢字なのでしょうか?

 

言う+射るを合わせた漢字ですが、言うとは勿論、口で自分の伝えたいことを

相手に伝わる様に言うということです。

そして、射るとは、弓に矢を番えて(つがえて)弦を

いっぱいに引き絞り、放つと言うことです。

 

自分の気持ちの中に在る伝えたいことを一所懸命に

相手に伝えると言うことでしょう。

その意味では、「ありがとうございます」と言う意味と

「「ごめんなさい」と言う両極端の意味を持つことも理解できます。

 

「感謝」と言う漢字を観ていて思います。

感謝とは、相手が弓で射るように鋭い言葉を投げかけたとしても、

相手の気持ちを感じとることではないかと思います。

ようこそ、叱っていただき、ありがとうございました。

このように感謝する気持ちを持ちたいものですが、

なかなか簡単にはいきません。

叱られれば、なんで自分がという頭がムクムクと持ち上がり、

相手に悪態の一言でもつけたくなるのが凡人たるわれわれです。

あるいは、自分はダメだと下を向いてしまうこともあるでしょう。

 

しかしながら、叱ってくださる人の方が辛いのではないでしょうか?

叱れば恨まれることもあるでしょう。

でも、今ここであなたにきちんと言っておかなければ、

あなたはいつまでも気がつかない。

 

小さい頃、母が叱るときはいつもこうでした。

今思えば、母は辛かったのではないでしょうか。

でも、あのとき叱っていただいたお蔭で、今の自分が、マガリナリニモ生きている。

クマはコーチとして10年以上も多くのクライアントとお話してきていますが、

考えて観れば、話をしていて、今自分はこのコーチングのスキルを使っている、

だから次はこうしようなんて思ったことなど一度もありません。

(正直言うと、最初の頃はスキルが気になってしょうがなかったのですが。)

今、コーチングを突き詰めて言えば、

相手の気持ちを慮ること。

相手にこころを配ること。

これに尽きるのではないでしょうか?

 

ですから、クマもスキルについてのお話もしますが、

スキルに執着しないことが大切です。

他者に感謝する気持ちを持って真っ直ぐに生きましょう。

 

また、「謝」の意味を「ごめんなさい。」とあやまることにも使います。

謝罪と言う使い方に現れる使い方です。

勿論、この使い方、解釈も正しいですヨネ。

日本人は、このように一つの字を持って、

異なる2面からの見方をすることがありますヨネ。

(中国語でも同じようです。謝謝(シェシェ)と謝を重ねれば

ありがとうと言う感謝の気持ち、謝と一言言うとゴメンナサイと

言う謝りの気持ちを指すと聞いたことがあります。)

 

さて、この2面を持ち合せた意味表す言葉として、

『謝茶(しゃちゃ)』と言う言葉があります。

お茶をしていらっしゃる方には理解し易いのではないでしょうか。

日本の文化を表す良い例だと思います。

 

この『謝茶』と言う言葉は、主客のこころを表しています。

お客は、出していただいたお茶を喫しながら、

美味しいお茶をいただいておりますことを感謝する。

主人は、このような粗末な茶しかございませんとお詫びをする。

この両者のお互いを思うこころ、お互いにこころを寄せ合う

様を表しているように思います。

 

また、「善をも思わず、悪をも思わず。」

このような言葉があります。

ついつい、われわれは、善と悪と二つ並べて、

両極と考え比較しそうです。

 

親鸞聖人が仰ったことを唯円が書き留めたとされる

『歎異抄(たんにしょう)』にある言葉として有名な、

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・・。」

にも観える様に、善と悪を正反対のものとは捉えていないのです。

 

またまた別の言葉に、「禍福は糾える縄の如し」というのがあります。

良いことばっかりが続く訳ではなく、

また、悪いことばっかりが続くわけでもありません。

どちらもあって人生のバランスがとれているんだよと

教えてくれているのではないでしょうか?

 

われわれ日本人は、古来から民族的に集団意識を持ちやすい民族です。

これは稲作を中心とした農耕民族だからと言うのではありません。

むしろ農耕が普及してからの方が、権力意識、

上下の差別が生まれたとクマは思っています。

 

永く農耕民族として生活してきていますが、

日本人の本質は変化していないのではないでしょうか?

 

陰陽道に観られる陰と陽は絶対的なものではなく、

陰が高じれば陽となり、陽が高じれば陰となるとの

思考のもとに、変化しながらバランスをとって

一つのものとして成り立っていると考えられます。

 

そう考えれば、絶対的な善はなく、また絶対的な悪もないのです。

 

ですから、「謝」も、感謝する意味と、謝る意味の両方を抱合しているのです。

自分から観た相手だけではなく、

相手の立場に添って相手の目を通して

観えるもの、ことにもこころを置く。

そして思える様を相手にして差し上げる。

 

このことを端的に表している言葉が「謝」であろうかと思います。

よく日本人は曖昧な民族だと謂われることがあります。

今日の言葉にも表れているように、二面性を常に持つ民族だからかも知れません。

この二面性こそが、日本人の相手と自分の両方を常に考慮する特徴かも知れません。

 

クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 

*今日のような話も、ビジネスを行うためには、大切な要素ではないでしょうか?

詳細は下記からご覧ください。

 

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