七十二侯の第八侯「桃始笑(ももはじめてさく)」
おはようございます。
さて、あなたのまわりでは桃の花が開き始めていますか?
です。
今日、クマの奥方は、お茶のお稽古日です。
朝から忙しく、お茶室を掃除しています。
まず、ホウキ(今は電動箒ですが)で塵を掃き清め、
固く絞った濡れ雑巾で畳を拭き、その後に乾いた雑巾で
一所懸命に拭きます。
いつも、なんでこんなに掃除をするんだろうと思います。
稽古日でないときもいつもきれいに掃除しているんだから、
お稽古日の忙しいときにまで掃除しなくてもいいんじゃない
のってクマジョに言ったんですネ。
そしたらクマジョは不思議そうに言いました。
「クマさんは、毎日毎日、何のためにブログを書いているの?」
「1週間に1回、書き溜めておけば時間の節約になるのに」
クマは気色ばんで、こう答えました。
「何言ってんだい! 今日のことは今日しか起こらない。
明日起こることとは全く違う。
だから今日起こることを念頭に置き、今日出会う人のことを想い、
自分と向き合っているからじゃないか!」
そしたら、クマジョ、「そうでしょ!!」って。
これはクマが一本とられました。
クマジョは塵、埃を掃っていたんじゃないんですネ。
自分のこころの塵芥を清め、お弟子がこの茶室に入った瞬間に、
こころが清まって欲しいとの願いを込めていたんですネ。
やはり、素敵なクマジョです。
閑話休題、
クマジョに惚れていることの告白をしたい訳じゃないんです。
今日のお稽古のお軸に「桃花笑春風(とうか/しゅんぷうに/えむ)」をクマジョが選んだのです。
また、先日の3月3日では、お内裏さまのお軸に、桃の花を添えていたんです。
桃の花は実際には4月に咲くものです。
旧暦3月のお花ですから、今は未だ自然には咲いていないのですが、
お茶の世界では早め早めの季節取りをしますので、
先日は桃の花、今日はこのお軸なんですネ。
このお軸の本歌を見ますと、「昨年この桃の花の下で、きれいな娘に出会った。
今年は、あの娘はもはや亡くなり、桃の花のみが去年と同様に
きれいに咲いている。なんと無情なこの世なのだろう。」
このような歌ですが、クマは、「桃の花が春の優しい風に嬉しそうに微笑んでいる」と採りたいと思います。
時間の流れに事柄を風化させないことは大切ですが、その事のみに囚われず、
こころが動き、身体が動くことも大切です。こころから春だと嬉しく笑えるようお祈りします。
さて、桃は中国では不老不死の果物として、齊天大聖(孫悟空)が
西王母の命令で守っていた果物がこれだとされています。
ギリシャ神話に出てくるネクターも不老不死をもたらす飲み物ですが、
クマが小さい頃、ネクターと言う飲料がありました。
この味がまさに桃の味でした。なんか繋がりがあるのかも?
因みに、この候は、桃が咲くではなく、桃が笑と書きます。
とても良い言葉です。桃自身が、花を咲かせた喜びに顔いっぱいの笑み。
それを見ているわたし達も顔いっぱいの笑み。
<時候を表わす季語>
奈良の東大寺と言えば、3月12日は「お水取(みずとり)」です。
二月堂で旧暦の2月1日から14日まで(現在は、3月1日から14日ですが。)、
行われる二月堂の行ですので、修二会(しゅにえ)とも言います。
昔、東大寺の開山・良弁(ろうべん)僧正の弟子、実忠(じっちゅう)が笠置山での
修行中に竜穴に入り、兜率天へと導かれ、そこでの修行を現世に
勧請したことが始まりとされるお水取り。
実忠が二月堂で日本中の神々を勧請しているとき、若狭の国の
遠敷(おにゅう)明神だけが遠敷川で魚を取っていて遅れました。
明神はこのことを詫び、福井の若狭湾から二月堂に清水を送ると約束をしました。
そして、現在の閼伽井屋がある場所から聖水が湧き出しました。
これを若狭井と言います。
これを聖水として、二月堂の本尊である十一面観音菩薩に
1年間の行いを懺悔し、国家安泰を願う十一面悔過法を誦します。
この十一面観音に聖水を供えることが儀式となっています。
このお水取りは、東大寺大仏開眼が行われた天平勝宝4年(752)から、
1度も欠かすことなく行(ぎょう)されていると言いますから
1250年以上我が国を守っていてくださっているのですネ。
<時候を表わす色>
お水取りで春を呼び込んだので、ここでは色で春を感じていただきましょう。
柳の若葉が目に飛び込んできます。
若葉の緑色は冬の白一色で視神経が疲れたのを良い気に和ませて
くれるために自然が用意してくれたプレゼントなのかも知れません。
「柳色(やなぎいろ)」は、柔らかな黄緑色です。
大伴家持(おおとものやかもち)をご存知の方は多いんじゃないでしょうか?
クマの故郷、富山県高岡市の伏木と言うところに今から1300年も前に、
越中の守として29歳から5年間赴任していた万葉歌人として、
富山では知らない人がいない方ですちゃ。
三十六歌仙の一人として、また万葉集の編者であったとも謂われる方ですが、
この方の歌に次のようなものがあります。
春の日に張れる柳を取り持ちて
見れば都の大路思ほゆ
嘗て、平城京の大路の両側には長安に似せて枝垂れ柳が植えられたと言います。
家持さんは高岡と言う京都から随分と離れた地方に派遣され、
都の朱雀大路の柳を忍んでいたのではないかと思われます。
蛙までもが柳の色を好んでジャンプを続けているのですから、われら人間をや。
(この蛙のくだりは、花札にたけた篤姫さんならば知っておられると思いますが)
柳の柔らかな黄緑色は春の陽光の優しさを醸しあい、春を喜びの季節としました。
今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。