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『無一物中無尽蔵(むいちもつ/ちゅう/むじんぞう)』

おはようございます。

ストレスを抱えていらっしゃる方々とお話していて気づくことがあります。

わたしはクマで(コーチで)、人間(精神科医)ではありませんので、

確かなことは解りませんが、不安がこころにイッパイ詰まっていて、

不安で不安で溜らず、こころを不安以外のもので満杯にしたい。

いやそうしなければ、こころが収まらない。

 

このようなお心もちではないかと思います。

今の自分は真っ暗の中で、どうあがいても一歩も動けないほど、

不安に閉じ込められていらっしゃるんですネ。

 

そのような方々に、以前、

背負っている荷物を一旦、横に置くことをお話しましたが、
今日は、皆さんには、そもそも

 

「荷物は持たなければいけないのか?」

「荷物は自分だけで持たなければいけないのか?」

と言うお話です。

無一物中無尽蔵(むいちもつ/ちゅう/むじんぞう)』

これは、中国北宋時代の詩人、政治家の蘇軾(そしょく/11世紀)が作った
詩や文書の中から、禅に使えるものを取り出した
『東坡禅喜集(とうば/ぜんきしゅう)』に収められている言葉です。
蘇東坡と言ったほうがご存知の方が多いのではないでしょうか。

さて、この言葉、ものすごく変な言葉でしょ?

本来ならばこんな関係ではないでしょうか。

無一物 ⇔ 無尽蔵

相対する言葉です。

これがどうして、無一物を推し進めていくことで、

無尽蔵になるのでしょう?

われわれは執着心を持っています。
いや、執着心を持つことが進歩に繋がると仰る方までいらっしゃいます。

しかしながら、物を集めることに執着するあまり、

家の中が骨董品でいっぱいになり、
住むための部屋を別に借りている。
こんな話を聞いたことがあります。

ご自分は骨董品が好きなので、それでよいのでしょうが、
これは限(きり)がありませんよネ。

物に執着しないということは、何もないということではなく、
何事も何物も、直ぐに取り込めるこころの容量を常に持つと言うことです。

このように考えれば、こころに物や事を貯め込まない無一物こそが、
無尽蔵に物や事を流し込む方法と言えるのではないでしょうか?

物を持つことをだめと言っているのでなく、
その物に執着することがだめなのだと思います。

物事に執着することを捨てることは難しいことですが、
もっともっとではなく、今の自分に備わっている物、事を
受け入れ、そのままであることを心がけたいものです。
  

  あればあるでよし

    なくばなくでよし

一切の執着を捨て

  こころに無一物   

    さればこそこころが無尽蔵   

            (クマ:お粗末)

こころに執着がなければ、いつでも色々なことが

こころに流れ込んできます。

これは是非自分の物にしたい、残しておきたいと

情報等を貯め込むことで、こころの許容量が小さくなってしまいます。

また、情報をたくさん持つことが価値の有ることと思ってしまう危険性もあります。

価値は、情報と情報を組み替え、組み合わせて常に新しいもの、新しいことを

生み出すことにあるのです。

情報を多く持つことが価値ではありません。

 

今は、インターネットの時代です。
自分だけで情報を貯め込まないで、共有できる他の人へどんどん渡し、
大きな蔵人制を作りましょう。

そうすれば、いくつも情報や知識の蔵が建ち、
それらを俯瞰(ふかん)することで、智恵の宝が産まれます。

 

因みに、蔵人は「くらんど」と呼びますので、
雲(クラウド)に掛けてます。 (^▽^;)

今日はここまでお読みいただきありがとうございます。

○ 今日は、不安や情報を自分だけで溜め込まないで、

他の人と共有して見ましょというお話でした。

クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

 

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