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「仁者の寿(にんじゃのじゅ)」

おはようございます。

孔子のように、すべての徳が備わった人を

仁者と言うことがあります。
「仁者の寿(にんじゃのじゅ)」という言葉が

『論語』にあります。

 

簡単そうな意味に見えますが、なかなか

難しいのではないでしょうか?
例えば、、寿という言葉は寿命というように、

長い生命を指していますが、どこまで生きれば

寿と言えることができるのでしょうか?

クマは、もしや77歳を過ぎないと言っちゃいけない

のかしらと思っとります。

 

なぜって、古来の歳の読み方を見ますと、

寿が入るのは七十七歳からですから。
因みに、七十七歳を「喜寿(きじゅ)」、八十歳を「傘寿(さんじゅ)」、

八十八歳を「米寿(べいじゅ)」、九十歳を「卒寿(そつじゅ)」、

九十九歳を「白寿(はくじゅ)」百歳を「百寿(ひゃくじゅ)」。

 

そして極めつけは、何と百二十歳までの読み方があります。

昔寿(せきじゅ)」と言います。
ここまでくると、本当に竜宮城に行った

浦島太郎の気分でしょうネ。

 

不思議なことに、現代の神経生物学者によれば、

百二十歳が寿命の限界だと言われていますが、

この古来の歳の読み方の最高年齢が

百二十歳となっているのは、何故なのでしょうネ?

興味深いですネ。

 

閑話休題、

百歳まで生きたとして、その方に人徳が備わっていると

一概に言えるものではないでしょう。

 

反対に若いから徳がまだまだ備わっていないとは

言い切れないでしょう。
そう観ますと、徳が備わると言うのは、

単なる経年ではないのでしょう。
その人が、何を観て何のために生きてきたのか、

本人の物・事との接し方、感じ方が

大きく影響するのだと思います。

 

仁とは、思い遣りを指すことですので、

他者と接してこなければいくら年齢を重ねても

自分の身に備わるものではないでしょう。

 

仁者と言われるまで、耐え忍べば

その内なれるさ、と高を括っている方へ。

 

大名には到底なれません、

小名にすらなれないでしょう。

せいぜい、大名に雇われる忍者です・・・。

落ちにもならないデス。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

 

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