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死にともない!!

おはようございます。

今日は家から見える畑が、霜に覆われ、一面キラキラ。

とても綺麗ですが、とにかく寒い。

 

今日は、「死にとうない。」と言うお話です。

世の中、色々な事情があるのでしょうが、自らの命を粗末にする方々が多くいらっしゃいます。

老若男女と言わず、惜しげもなく命を捨て去られていきます。

 

江戸時代の後期に、仙厓和尚と謂われる方がおられました。

当時からお名前が人口に膾炙するほどのお方でした。

この方は禅宗のお坊さんなのですが、

洒脱と言うのでしょうか、

この方が仰ること、さらに、この方がお書きになる

絵画が素晴らしいのです。

出光美術館でコレクションを持っているので、いつの日にか展示してくれるのではないでしょうか

目次

仙厓義梵(せんがい/ぎぼん)禅師

さて、仙厓義梵(せんがい/ぎぼん)禅師は博多の聖福寺で

40歳で住職となられ、遷化された88歳まで、

この名刹におられたのですが、同じ年代におられた

越後の良寛さんに勝るとも劣らない禅僧だと思います。


禅師と言いましたが、生涯に於いて紫衣(しえ)を

纏われたことはなく、黒衣のままで生涯を通された

ところにも、仙厓さんの面白さがあるのではないでしょうか。


なにも本山の妙心寺から紫衣の禅師号を頂かなくとも、

わしは日の本最初の禅寺(ぜんでら)の住職じゃわい、

と言う声が聴こえてくるようで痛快です。


仙厓さんは亡くなるまでに1000点以上もの絵、書を

書かれたのですが、その中に、ご自分のお名前を

「芙蓉最初禅窟仙厓」と記されているものが

あることから窺えると思います。

富士の白雪、朝日で融ける。

仙厓さんの逸話は多く残されていますが、こんな話があります。

あるとき、往来で大ゲンカをしている夫婦がいました。

旦那が嬶(かかあ)を殴ったのでしょうか、嬶、大声で「さあ、殺せ!!」

ますます酷い状態になったのですネ。


そこに、仙厓さんが入って、「おおっ、もっとやれ! 死んだら引導を渡してやる」

このように言ったものですから、二人はハッと我に返り、きまりが悪くなったのでしょう。

喧嘩を止めました。

ゆっくりと、夫婦の喧嘩の原因を訊きますと、

「元旦に亭主に餅を食わしてやりたいと嬶が雑煮を作ったところ、亭主がこの雑煮は軟らか過ぎて食えたもんじゃな」

これが痴話喧嘩のもとだと解った仙厓さん。

持っていた紙に次のように書いて夫婦に渡しました。


「富士の白雪、朝日で融ける。

今朝の雑煮は煮て溶ける。

夫婦喧嘩は寝て解ける」

実に洒脱な書ではないですか?

死にともない!

さてさて、この仙厓さん、亡くなるときに、

「死にともない」と言ったそうです。

死にたくないと言うのは、禅を極めてこられた方とも

思えないと仰る方もいるでしょうが、

クマは、この言葉こそが仙厓さんを

好きになった言葉なのです。


生きとし生けるもの、すべからく死ぬのは必定。

これは解っているからこそ、死にたくないと言う

気持ちを吐露できることこそが、

刹那を生きるものの最高の

最後なのかも知れません。


「自分は全身で生きた、だから死に執着はない」

このように言うことも素適なことですが、

クマは仙厓さんのように生き、死んでいきたい。


途中で自らの生き(息)を止めることなど、粋じゃない。

それは単なる、遺棄に過ぎない。

最後の最後まで生きたいと言う

こころを持って行きたい。


今日は、カッコ良いことを言おうとしたのですが、

何か確固たるものがなく、カッコ悪いナア。

最後まで、ダジャレに過ぎたクマでした。

皆さん、良いお年をお迎えください。



大黒天

最後に仙厓さんが書いた「大黒天」の賛を読みあげます。、

「大黒を祈るなら

博多ごまの糸わたり

手もとを下げれば

此方へまいる

手もとをあぐれば

にげていく

ちがわぬ ちがわぬ」


この賛のとおりにすれば、来年は

きっと幸せが入ってくるかも。

クマこと高柳昌人(向龍昇人)でした。

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