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ストレスは悪いもの?

ここんとこ、生活のリズムが大きく変わったことで、
身体の変調が気になります。
ましてや、今流行りのウイルスにか絶対かかりたくない
年齢のクマですので、気になるみたいです。

「クマさん、ずいぶんストレスが溜まっているんじゃない?」と
言われそうですが、ストレスを感じてはいないのです。

そうしますと、「そりゃ、クマさん、過度のストレスで
ストレスすら感じない最悪の状況ですよ」
と仰る方がいらっしゃったのです。

なぜクマはストレスを感じないで、他の人はストレスを感じるのでしょう。
今日は「ストレス」についてお話しましょう。

私は、セッションでよくレンガ積みの青年の話をします。
一人の青年はつまらなさそうにただレンガを積んでいます。
もう一人の青年はニコニコと楽しそうにレンガを積んでいます。
この二人は同じ作業をしているのですが、大きな違いがあるのです。
ストレスの掛かり方が全く違うのです。
さらに言いますと、寿命にも大きな差が出てくるかも知れないのです。

目次

ストレスに関するデータ

2012 年、ハーバード大学の発表論文で興味深い内容がありました。

8年間に亘って3万人を対象としたストレスと健康についての追跡調査で、
「ストレスをこの一年で感じたことがあるか?」と言う質問に
ハイと答えた人に続けて、「ストレスは身体に影響を与えるか?」と質問しました。

影響を与えると答えた人の死亡率が43%が高まったとの結果が出ました。
さらに驚くべきことに、ストレスは身体に影響を与えないと
言った人の死亡率は非常に低かったとの結果でした。

ここから、アメリカの健康心理学者であるケリー・マクゴニガルは
2013年のTEDで「ストレスを身体に悪い影響を与えるものだと考えると、
例えば、心臓への血管壁が収縮することが知られており、
これが心不全を引き起こす一因とされているが、
ストレスは反対に心臓を早く動悸させることで、能に新鮮な血液を
より多く送り込み、そのストレスを与えた内容に素早く行動する
ために役立つとすら言える。」としています。

そしてこのようにストレスをマイナスイメージで捉えない人の血管壁は、
動悸が高くなったとしても、血管の収縮は見られなかったと言っています。

このことから、彼女はストレスに対する捉え方次第で
健康に害を与えない場合があるとしています。

いかがでしょうか?
われわれは、「ストレス」が悪いものだと教え込まれてきましたが、
一方では、

「ストレス曲線」に見られるようにストレスが少なすぎる
場合には生産性が上がらず、ストレスが高すぎる場合にも
生産性が落ちるので、

生産性を高めるためには適度なストレスが必要とされます。
どうですか?

このように見てきますと、そもそもストレスは
人間にとって病気の本と考えるとべきなのでしょうか?
実は、ストレスは人間にとって有用なものなのではないでしょうか。

楽しくなる習慣を作ることがストレスを軽減する

ストレスを溜め込まない方法の一つとして、
楽しくなる習慣化があると思います。

レンガ積みの青年のように、一つひとつのレンガを積み上げることで、
この場所に協会が立ち、日曜日毎にミサに村中の人々が集まり、
にこやかに話をしている、なんて素適なことなんだ。
と思いながらレンガを積んでいると幸せな気分に
なれるのではないでしょうか?

このように楽しくなるような習慣を自分の時間として
作っておくことはストレスを良い方向に持っていく方法だと思います。

ストレスホルモンとは?

まずは、皆さん、アドレナリンと言う言葉をご存知だと思います。
ストレスホルモンとして有名な物質です。

このアドレナリンは闘争、あるいは逃走ホルモンと言われ、
副腎から分泌されるのですが、動物の行動で説明すれば、
獲物を捕獲するとき、あるいは強敵から逃れるときに分泌され、
運動器官への血液量の多量な供給を図り、
心臓から全身の筋肉へ血液を多量に送り込むことで、
筋肉を増強し、能の働きを活発化することで獲物を容易に捕獲できるようにする。

あるいは、瞳孔を大きく広げることで相手の動きをより捉えやすくする。
また、少々の手傷を負ったとしても痛いと言う
感覚を麻痺させる働きをします。

このアドレナリンは気持ちを楽しくさせるもの
ではありませんが、ストレスホルモンの分泌によって
われわれの身体に大きな変化をもたらすもの
だとご理解いただけたでしょう。

さてここから、われわれの気持ちを楽しくさせて
くれるホルモンを紹介しましょう。

オキシトシン(oxytocin)と言う脳下垂体下部から
分泌されるストレスホルモンですが、
このホルモンは「幸せホルモン、愛情ホルモン、抱擁ホルモン」と呼ばれます。

これが分泌されると
◯ 幸せな気分になる
◯ 脳や心が癒され、ストレスが緩和する
◯ 不安や驚怖心が減少する
◯ 他者への信頼の気持ちが増す
◯ 社交的になる
◯ 学習意欲と記憶力が向上する
◯ 心臓の機能が向上する
◯ 感染予防に繋がる
と言われています。

どうです?
素適なストレス反応でしょ。
このホルモンが分泌されることにより、
ますます幸せな気分になり、
相手を信頼し、不安感がなくなり、
学習意欲や能力が高まるのです。

だから、幸せな気分になりたければ他者と話をし、
その中から学び、知識をつけ、人々を信頼する、
そして、人を愛することから始めましょ。

そのことの連鎖が大きな輪になり、
集団の中で生きることを学ぶ理由なのです。
一つの魂から分化して、人間と生まれた
われわれが学ぶべきことなのです。

あなたは仕事を一つ完了した時、どんな感じですか?

コーチング・セッションをしていますと、
よくクライアントから次のような質問を受けることがあります。

「クマさん、今回一つの大仕事を完了したんですが、
なんかストレスが溜まりに溜まったって感じなんです。
なにかストレスをなくす方法を教えてください。」

なるほど、誰にでもストレスはあるものですが、
大きな仕事をやり遂げた彼は、
満足感と同時に深い疲労感を持ったんですネ。

クマの経験からしますと、やり遂げた仕事が
100%満足感を持ったとすれば、
ストレス度合いは小さなものだと思うのですが、
彼は深い疲労感があり、ストレスが溜まっているところを見ますと、

自分の気持ちに添わない方向を抱えたまま、仕事を進めたようです。

ストレスは現代病と言われるようですが、
ストレス自体は他者との関係で成り立つ人間社会で
あればいつの時代にでもあったのではないでしょうか?

勿論、先日、某放送局の大河が終了したばかりですが、
あの時代のすぐ先にあった織田家の跡目相続『清須会議』の
時代においても相当のストレスが、すべての武将にかかっていたことでしょう。

なにせ、織田家の跡目相続の態をなした後見人争いと、
彼らのどちらに就くかで自分の領地が大幅に
違ってくると言う会議で、

それまでのように戦という実戦で勝ち取るものではなく、
腹の探り合いで決まる会議と言う物に左右されるのですから、
これはもう大変なことですよネ。
このような安土桃山時代において、
同じようなストレスを抱えた人たちは、
どのようにストレスをなくそうとしたのでしょう?
 
この時代には、心理学と呼ぶ学問体系も、
精神科医もいないのですが、

どうも「禅語」と禅僧がいたようです。
少しコジツケが酷いのですが、我慢していただき、
これから暫くはクマと「ストレスを軽減するために」と
題して禅語を紐解きながら、ストレスについて考えて参りましょう。
お付き合いのほどお願いいたします。

「莫妄想(まく/もうぞう)」という禅語があります

さて、そもそも、ストレスはどのようにして生じるものなのでしょうか?
 自分がいて他者がいる。
 これだけでもうストレスが生じます。
 目に光が入る。
 これだけでも、ストレスが生じます。

 われわれの周りは、会社においては上司がいれば
部下になる人もいます。

部下のストレスが高く、上司はストレッサー
(ストレスを生じさせる本(もと))かと言いますと、
一概にそうとも言えません。

上司にとってその部下がストレッサーというようなことも多々あります。

また、金持ちがいれば、そうでもない人がいます。
このような関係において、個々にストレスが生じてくるのですネ。

アダムとイブがエデンにいたときには、
ストレスなど無かったのでしょうネ。

なぜならば、何一つ対立するものが無かったからです。
ところが、智慧の実を食べて、自分対○○の形が生じたのです。
比較をすること、もっともっとと欲を持つこと。
これが大切ではないとは言いません。
これらによって、人間社会は出来上がっているからです。

しかし、自分の周りがすべて対立するもの、対立すること
と考えることは、自分を疲弊させる結果しか
生まないのではないでしょうか?

悩み、苦しみ。
これが原因となり病気が生じることが多いと聞きます。

「莫(まく)妄想(もうぞう)」とは、妄想すること莫(なか)れと言うことです。

 他者と対立することで、色々と考え、不安が生じ、
悩みが生じるのです。
枝葉末節なことを思い浮かべたとしても、
それら雑念からは何の行動も起こり得ません。
人間は行動しないと、ますます自分にのみベクトルが向き、
人を悋み、羨むばかりです。

そもそも、苦しむのは何のため、哀しむのは何のため、
これを突き詰めていってあなたは
どのような答えを得るのでしょうか?

「あいつがあんなことを言ったからだ。」
「ぜんぶ、世の中が悪いんだ。」

このように仰った方がおられました。
悲しいことです。
この方も口から出たこれらの言葉に、
一瞬とまどったようでした。

わたしはそのとき、何も言って差し上げられなくなってしまいました。
そのように仰るその方が、ただただ悲しくて。
わたしは声もでず、泪を浮かべていました。
その方は、じっとわたしの目を見つめ、
大粒の泪を流し始めました。

われわれは、現実社会において、差別や区別の中で生きています。
それでも、それが対立する根拠ではないのだと思います。
自分自身の中で対立するこころを持ってしまうが故に
生じる悪心だと思います。

何も妄想することなく、こころを相手に向けて、
余計なことを考えなければ、

対立している根源は何かなどと思い悩むことは
なくなるのではないでしょうか? 
最初から、何も問題は生じていないのではないでしょうか?
一つのことをやろうとして、そのことに徹することで、
少々の問題が生じたとしても、

いつの間にかそんなことすら忘れて、
ふっ切れているのではないでしょうか?

もし、この先ストレスが少しあるなあと感じられたのならば、
ご連絡ください。
お話を聞いて差し上げることしかできませんが、
ちょっと勇気を出して連絡ください。

結芽創造研究所
クマこと高柳昌人でした。

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