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日本の文化ー二十四節気、七十二候

日本は古来、二十四節気(にじゅうしせっき)、七十二候(しちじゅうにこう)
と言う文化を宿し、育んできました。
現在の我々は1年を12ヶ月としていますが、古の日本人は半月(15日間)ごとに
24の変化とし、「二十四節気」としました。

さらに、15日間を3つに分割して、5日ごとを括りの「候」として、
1年を「七十二候」とします。

我々日本人は、自然とともに生き、自然の変化の流れを敏感に捉え、
5日ごとの変化を生活の変化の基準としてきたのですね。

私はコンサルティング、コーチングをしていて、人のこころの流れが
軽くなることがとても大切なことだと感じています。

そのためには、論理思考を大切にするだけではなく、
こころの素養を豊かに育むことも重要でしょう。

あなたの周りにこれまで見えなかった花々が咲いていることを、
紅葉や黄葉が目を楽しませてくれていることを、
ちょっと散策してみてはいかがでしょうか?

これも自分を豊かにするこつだと思います。

目次

第六十候「橘始黄(たちばな/はじめて/きばむ)」

橘というのは、古来、ミカンのような
柑橘類の総称でした。

垂仁天皇のころと言いますから、
紀元前1世紀ごろのお話です。

この天皇は、当麻蹴速(たけまのけはや)と、
野見宿禰(のみのすくね)を対戦させ、
相撲を創った天皇として名前が出てきますが、

あるとき、田道間守(たぢまもり)と言う人に
不老不死の薬を探させ、常世の国に往き持ち帰った実が、
非時香実(ときじくのかくのこのみ)と言う実でした。

この実の花が、田道間花(たぢまはな)と言われ、
ここから転じて橘(たちばな)と謂われるように
なったと聞いています。

その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えることから、
長寿瑞祥の樹として珍重され、「右近の橘、左近の桜」として、
京都御所の紫宸殿に橘と桜が植えられたとも聞いています。

また、橘は、木の姿が凛としていることから
太刀花、立ち花とも謂われたそうです。

さらに、文化勲章の文様も橘を使っていますが、
文化勲章の立案時には、桜を文様としてデザイン
が進められていたとのことです。

これを、昭和天皇が、「桜は花も葉も散ることから、
潔く散る武人の象徴であるが、

橘は常緑樹であり、いつまでも緑青く、
永遠に続くものである。

文化を称える勲章も、永久(とわ)に続く
ものであってほしい。」
との仰せから橘がデザインされたと聞いています。

そうそう、「橘始黄(たちばな/はじめて/きばむ)」で、
きばむのは葉っぱではなく、実のほうですので、
くれぐれもお間違いのなきよう。

時候を表す季語、色

私の田舎は富山です。
田圃の稲刈りも終え、ひと段落した農家さんでは
冬の準備として、畑から大根を引き抜き、
敷地を流れる小川の清水で
土にまみれた大根を洗います。

久米の仙人ではありませんが、きれいに洗った大根は
目を奪われるほど、真っ白です。

この大根を軒下で干し、冬の蓄えとします。
この情景も冬の風物詩として田舎のイメージを
思い出させてくれます。

これを季語とした、「大根洗う」、「大根干す」、
あるいは、稲架のような垂木を設え、
そこに大根を懸けるところから、
「懸大根(かけだいこん)」なんて言葉を作りだしました。

<時候を表わす色>
都会では雀を見ることも少なくなりましたが、この寒さの中で、
雀も毛皮を纏ったかのように「膨ら雀」となります。

江戸時代に流行った茶系は四十八茶とも謂われ、
多くの色調を持っていますが、

この雀の羽根や頭の色は茶系であることから、
その中の一つとして、「雀茶」、
あるいは単に「雀色」と言います。

また、この茶系と同じように江戸時代に流行った色として、
利休鼠に代表される灰色、鼠色があります。

ここでは鼠色を基調としても、これほど色調が違っている
のかと言う色を紹介します。

一つは、古い色でもある黄緑が深く入った灰色の「山鳩色」。
この色は悲しい色とクマは記憶しています。

天皇の御衣であった麹塵(きくじん)と謂われる色が、
この山鳩色と同色と謂われますが、
壇の浦で幼い安徳天皇が着ていた
御衣もこの色とされます。

自らの意思で天皇となったのでもない幼子が
何が悲しくて入水しなければならなかったのでしょうか。

もう一つは、雉鳩(きじばと)のような青みがかった紫の
色調の強い「鳩羽色(はとばいろ)」。
江戸鼠とも謂われ、江戸の百鼠の一つです。

いかがでしたでしょうか?
このような文化に接することも素敵でしょ。
今日はここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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